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ぎりぎりに叫ぶ




朝、目覚まし時計が
きっかり 2コール鳴ったところで、電池が切れた。




いつも私に、
日付や秒、気温まで、正確に教えてくれる、頼もしい時計。



電池、切れそうだったんだね。




夜から、持ち堪えられなくなりそうになりながら、

この子を起こすまでは・・・!
と、耐え、
最後のちからを振り絞って、
あなたは2度、私を呼んだのだね。


私が目覚める前に、あなたが終わらなかったことに感謝します。





ごめんね。
もう大丈夫だよ。

すぐ、充電式の電池に入れ替えようね。



2010年04月17日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

せきとりむし



ここのところ、地震が多い。



先日、地震が収まったのち、
地震速報を求めてテレビを点けると、相撲が生中継されていた。

ちょうど、アナウンサーが、「地震がおさまったところで、相撲を再開します」 と 言い、
おすもうさんが、どすこい、どすこい、と2人出てきたところだった。




!!


そのとき、私はもう、地震速報のテロップなんて、見ていなかった。
おすもうさんしか目に入らなかった。

そして後悔していた。

―― 地震発生前から、テレビを点けておくべきだった!





相撲中に、地震が起きたのだ。

地震が発生したため、相撲は中断されたのだ。


"The Sumo was interrupted due to the earthquake."
(相撲は、地震によって中断された。)



この状況は、「はっけよ〜い」とか、
「のォこった のこった〜」とか言っているときに、
グラグラッと来たということだ。



逃げ惑う観客。

つい先刻まで、敵どうしであった2人の力士は、
もはや 心ひとつとなって、観客を守り…


それとも、土俵のうえで、せきとりたちは オロオロしたのだろうか。
そんな光景も気になるところだ。

行司さんは、なんと言って相撲を中断させたのか。
"地震だからタイム"という旨を、あの、伝統的な口調では、どのように告げるのだろう。





なにより、私がいちばん期待しているのは、
勝負がついた瞬間に、地震が発生したのではないかということだ。


だってそれは、おすもうさんが投げ飛ばされた瞬間に、地球がものすごく揺れたことになる。




「どすーん!」


 グラグラッ




その瞬間、誰もが、

「な、なんてパワーだ!」

と思ったことだろう。




タイミングは、魔法を起こす。


 *



かつて、受験勉強中、
私は、天井から垂れ下がる電気のスイッチのひもめがけて、息を吹きかける遊びに熱中していた。


少し椅子を引いて、遠めの位置から、

ふーっ!ふーっ!と、息を吹きかける。

息が届けば、電気のひもが揺れる。


「ふむ。私の息は、けっこう遠くまで届くのだな」などと思いながら、
少しずつ、距離を離して、どこまでいけるかチャレンジしていた。




あるとき、思いきり息を吹いたその瞬間に、地震が起きたことがあった。

電気のひもは大きく振れ、私は、とうとう新記録が出た!と興奮した。






そのあと、地震だと気付いた私の脳内で、記憶は走馬灯のように流れた。


2010年03月31日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

おふとんの洞窟とカレンダー


小さなころの記憶。


ある日、幼稚園から帰ると、
テーブルの上にオアシス (生花用の給水スポンジ。緑色のあれ) があった。

生まれて初めてその物体を見た私は、どきどきしながらそれに触れた。

ざらざらしゅわわ。
初めての感触。



慌てて母を探した。

母はトイレに入っていたが、私はドアの外から興奮しながら尋ねた。
あの緑のは何?植物?食べられるの?

母は、「うん」と言った。


そうか!食べ物なのか!と思って、急いで戻り、
少しだけかじったら、食べ物でないことがわかった。


「ぶえぇ!」



母は、うわの空で返事をしていたのだった。




  *


また別の日の記憶。


私は、よその子供とあまり遊ばなかった。
ひとり遊びが好きだった。

そのせいか、いろいろなことを考え思いつくたび、私は母に提案した。
(「ただいま」という言葉は、「ただいま帰りました」の略なんじゃないか、とか、
  画用紙で自動販売機の仕組みを作る方法だとか、
 人間は地球に住むバイキンなんじゃないか、とか。)


そんなとき、たいてい母は家事をしていて、生返事だった。



生返事があまりに続き、むー!と思った私は、母を試すことにした。

話の途中で「りんごとバナナ、どっちが好き?」という質問を混ぜてみるのだ。




「………それでね、(あ、きいてない、)

 りんごとバナナ、どっちが好き?」




母は、

「うん」

と言った。




がーん。

私は少し、かなしんだ。
それまで私は、母が、いや世界中が、いつだって私と同じことを楽しんでいると思い込んでいたから。


「聞いてくれてない」というより、
「こんなに楽しい話をしているのに」と思った。



 *


自分のことしか考えていなかった私は、
大変な衝撃を受けた。


私には、私の追求するもの、探求するものがあるけれど、
それは私にとって、ものすごく重要なことなのだけれど、

母には母の、今やるべきことがあるようなのだ。

そして、きっと他の人には、他の、追求するものがあるのだ。



じゃあ、私は、お母さんが楽しいと思ってくれるようなことばかり目指そうかな。
そうしたら、お母さんはさらに私を可愛がってくれるだろうか。

いや、そんな必要はない。

そんなことしなくても、お母さんは私を嫌いになったりしない。



私も、お母さんを嫌いになったりしないから、
お母さんも、お母さんの楽しいことをすればいい。
(当時、母が家事をする理由は "楽しいから" だと思っていた。)


私の楽しいことを押し付けて、お母さんの楽しいことを邪魔したくない。



 *


その夜、私は おふとんで洞窟を作って、その中で誓った。


決して他人の追求するものを、私のために変えさせたり、強制したりしないようにしよう。
そんな残念なことは、絶対しないようにしよう。


ただし、私の追求するものも、強制(矯正?)されないようにする。

私が知っている、こんなに楽しいことたちを見過ごす人生なんて嫌。




 *


あの頃は、もちろん、ぜんぜん言葉も知らなくて、
上のように、言葉を遣っては誓えなかった。

それに、なんと私は、小学校入学まで、「ものごころ」がついていなかった。

小学校入学以前の記憶は、ほとんどない (ところどころの記憶はある。)。




にもかかわらず、この記憶はとくに強く残っている。

その月のカレンダーの絵柄までセットになって、今でも私を追い回している。





2010年01月04日 未分類 トラックバック(-) コメント(5)

文明開化



銀座のあたりは、夜になると、八百屋さんが売れ残った果物を安く売って回っている。



先日、帰り道で、八百屋さんから 桃を2つ買った。


会計が済んで、立ち去ろうとする。

――ありがとう。

――まいどありぃ。またお願いしますね。



八百屋さんが持ち上げた木箱が重そうだったので、私は道を空けて、

「どうぞお先にお行きください」

というつもりで、少し体を曲げて、手を差し出した。


yaoya.jpg




ところが八百屋さんは、あわてて木箱を置いて、


差し出された私の手を握った。







あれれ?





まさか、
突然 握手を求める女だと思われた?



すーん・・・。
神様、なにしてるんですかー。
たのみますよー。
かんべんしてくださいよー。



でも、「いえ、この手は違くて。握手じゃなくて。」 などと言ったら、
相手の八百屋さんが赤っ恥ではないか。


そもそも、「えぇー?こいつと握手かよー」と思ったかもしれないのに、
わざわざ握手してくれた八百屋さんの優しさ!






私は、握手を交わした。

しっかりと。






銀座のみなさーん!私たち、桃とお金の取引、成立しました!









八百屋と行きずりの娘の固い握手。



八百屋は言う。

――ちなみに梨はお好きですか?



娘は答える。

――好きですが、今ちょうど家にたくさんあるので。



そうですか。と八百屋は言う。




間を空けて八百屋が言う。

――ちなみにお酒はお好きですか?


娘は答える。

――いえ、好きじゃないです。まだジュースがおいしい歳頃です。



そうですか。と八百屋は言う。


――はい、お仕事がんばってくださいね。

娘は別れの挨拶をして立ち去る。







握手、しちゃったな。






道行く人の声が少し大きめになっている、銀座の夜。涼しくて気持ちよい。

こんなときに歩きながら思い出すものが、私を支えているものなんだ。とか思う。





桃は、中身の黄色い、なんとかっていう特別な桃だった。うまうま。

2009年09月30日 未分類 トラックバック(-) コメント(4)

観客




電車に乗ろうと、片足を踏み込んだところで、一本の電池が目に入った。

車両の床に、単3のアルカリ乾電池がおちていた。





(どうして、電車の中に乾電池があるんだよう・・・)
と 思いながら、

それを踏んで滑ったりしないよう 注意しながら乗り込み、

私は、ドアの前に立っていた。



電池は、私の足もとに転がっていた。





電車が大きく揺れるたび、







ゴーロゴロゴロゴロゴロゴロ!!ガーー!







と、遠くへ行って、







ガーーーー! ゴロゴロゴロゴロ!!








と、また足もとへ帰って来る。







そしてときどき、




かつん、




と ドアにぶつかって止まる。





あの、重量感ある金属製品の転がる音はずっと響いていた。

たぶん車内の誰もが、その円筒形の物体の存在に気が付いており、見て見ぬふりをしていた。






その乾電池が、また、

「ガーーーー!」と遠くへ転がっていったとき、



私は見た。











そこに座っているおばさんが、さっきから握り締めているものは、


私の足もとを行ったり来たりしているものと同じ、
金色と黒のプリントが施された、単3乾電池ではないか!










うむ。



単3乾電池というものは、たいてい、2本セットで使うだろうし、


「電車に乗って、電池を握り締めているおばさん、よくいるよね!」
なんてことは、まず ない。


そして型もメーカーも同じ。



この転がっている乾電池と、

おばさんの握り締めている乾電池は、



高い確率で、ペアだ。











でも拾わないって、いらないのかな?

落っことして気付いていないのかな?

拾って見せてみようか。

いや でも、「もしもし、これ、ちがいますか?」「私じゃないわ」ってなったら

私、その拾った乾電池どうするのだろ。

そのままなるべく自然なかんじでポケットにしまうのかな。困るな。











乾電池の転がる音を聴きながら、

おばさんが降車していくのを見届けた。










結局、何もしていない。







ああ、今日も私は世界へ作用しなかった。


その場に私が居ても居なくても、そこに電池は転がっていたし、

おばさんは電池を握って電車を降りたのです。





2009年05月07日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

do our best




エビフライが一本。




兄 「食べる?」

私 「どっちでもいいよ。食べたい?」

兄 「お前がおなかいっぱいなら食うよ」


私 「食べられるよ」


兄 「食べたい?食べたくない?」


私 「どうしても食べたいってほどじゃないけど・・・」


兄 「んー・・・・・」








どちらが、このエビフライをより美味しく味わえるか、



つまり、



どちらに食べられたほうが、エビフライにとって幸せか。


私たちは本気で考える。











2009年03月10日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

薔薇じいさん



それはクリスマスイブの夜。

私は、スタジオへ向かうべく、地下鉄の階段を駆け上がっていた。

ホームに出る瞬間、人とぶつかりそうになり、思わず目をつむった。

目をあけると、すごく近い目の前に、おじいさんのびっくりした顔があった。


「すみません!」

おお、ああー、とかおじいさんは答え、
行こうとする私を呼び止め言った。


「それ重そうだなー。あぁ?肩痛めるだろ?あぁ?なぁ!大丈夫か?ぶつからないようにな。」


私は大きな楽器を背負っていたので、気になったのだろう。

よく見ると、彼はホームレスのようだ。



黒いぼろぼろのキャップをかぶっていて、
頭に薔薇の花が4つくらいくっつけてある。


釣りをする人が着ていそうな、カーキのポケットがたくさんのベストを羽織り、
汚れた水色のズボン。はだしだ。

そして薔薇じいさんは、かがむと、
ホームに落ちている、きったない黒いゴム製の紐のようなものをつまみ上げて、私に差し出した。









「ほら、これ肩に巻いとけ。」








私は程よく笑って、うん、ありがとう、でも大丈夫、とかなんとか言って、歩き出した。
後ろから、薔薇じいさんはずっと叫んでいた。



「なぁー!これ巻いとくといいぞ!覚えときな!なあ!なあー!」


私は電車に乗り、
黒いゴム(ごみ?)を高く掲げる薔薇じいさんのシルエットを、
ガラス越しに伺う。

電車が走り出し、
私は彼を、右目で見て、両目で見て、左目で見て、見えなくなった。






それは2008年のクリスマスイブ。



ほんとうは仲良くしたいのに。

彼はサンタだったのだろうか。


2009年01月02日 未分類 トラックバック(-) コメント(1)

エピクロス派


何ヶ月か前に、体に悪そうなものが食べたくなったので、マクドナルドへ入った。



隅の席に、パソコンをいじりながら食事をしている大人の人がいた。
彼のフライドポテトの食べ方は、異様だった。

彼は、ポテトの入った紙ケースを、それごと口まで持っていき、口でポテトを引き上げながらそのまま食していた。







こんな




poteto
  むしゃむしゃ









一瞬、「うわ!」となる。




でも、わかる。
彼は手を油まみれにしたくないのですよ。
パソコン使ってるから、いちいち手を洗いに行くのも効率が悪いのですよ。


「うわ!」となるのと同時に、「出会った!」とも思う。





私は常日頃から

あの人 わたしと同じ種族だ!とか、
あの人とは仲良くなれないんだろうな、とか考えている。



ただし、
同じ種族だ!と感じたときも、
「友達になれるなぁ」と思うだけで、「友達になりたい」とは思わない。
だから、声をかけたりはしない。

逆に、「ほんとうは友達になりたいけど友達になれないんだろうな」と思って、

虫を目で追うふりをしながら、

その人の向こうの壁を見ているふりをしながら、

その人をちらちら見ていたりする。
(しかしそういう努力はたいてい報われる。なぜなら向こうも私をそうやって見るから。)





それはきっと、単に安心したいだけなのだ。


同じ種族の人間を見かけると、なんとも言えない温かい気持ちになる。
同じ思考パターンの人を発見すると、生きていく勇気を得ることができる。

自分と似たような人間を発見して、例えばそれが30代の人だったら。ああ、こういう人間でも、少なくとも30代までは生き伸びていけるのだな、と希望が湧く。
自分より若ければ、いろいろあるけど頑張れよ、と思う。

果たして、自分のような人間が世の中に通用するのか。自信がない。



こんなんじゃいけない、と言いながら生活しているけれど、
実際は、そんなに変わる気もないのかもしれない。







まさか、と思う。

恐れ多くも、こんな文章をここまで読み進んでいるようなあなたは、
同じ、「みんなと楽しく生きるのに向いていない種族」なのではないだろうか。






どう思われますか。

あ、これは返答を求めるセンテンスではありません。





いいですよね?このままで。

あ、これも、返答を求めるセンテンスではありませんよ。

(※他人に意見を求めておきながら、その実、変化させるつもりなど はなから無い自分の答えを持っている。我々のひとつの特徴、『無駄な頑固さ』。)





手をべたべたにせず効率良く、しかしマナー悪く、マックフライポテトを食べていた彼は、
今日もどこかで、もぞもぞと生活しているだろうか。






私も、ポテトチップスを お箸で食べたりする。





2008年10月05日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

あと何回 夏を経験するのだろう



あの瞬間、私は確かに、高校のグラウンドで、

「夏だ」 と思った。



高校のグラウンドは、校舎から少し離れていて、山のふもとにあった。
グラウンドの端には崖がそびえていて、その上のほうに「ラグビーヶ丘」と石灰粉でかかれている。

その日は、とても暑く、まぶしさに先生も生徒も、かわいいあの子も、みんなしかめ面で光っていた。

日焼けを避けていた私はそのころ、長袖のジャージを着て体育の授業を受けていた。
光理ちゃんと、かたまりから少し離れた場所で、
やけるーやけるーと唸りながら、ひざを ジャージのおなかのところにしまってゆらゆらしていた。
(体育座りのようなかっこうの、あれだ。)



やけるー やけるー。 ゆらゆら。
やけるー やけるー。 ゆらゆら。
やけるー やけるー。 ゆらゆら。


わー。わはは。


ごろん。





そのときに空を見上げたことを、私は確かに覚えている。


目を見開いて、口も閉じずに、吸い込まれた。


空から見たら、私は、高校のグラウンドで、ちっちゃくだるまのように転がっていただけだろう。


あのときの気持ちも、うそみたいに 本当すぎる水色も、もこもことふくらんだ雲も。
グラウンドの小さな石が、背中に食い込む痛みも。
その砂がとても熱くなっていたことも。

4年後の私は、とても鮮明に思い出すことができている。



確実だった。



「夏だ」 と思った。


そのときの17歳の私や、その瞬間の空、その日の熱気が、ぜんぶ、戻ってこなくなることも、
そのときの17歳の私を、全然他人みたいな何年後かの自分に思い出される日が来ることも、
きれいに納得した瞬間だった。




めいっぱい息を吸った状態で、もう一段階 息を吸うときの 呼吸だった。







夏の日が残りわずかになった今日の、この瞬間を、何年後かの私は、思い出すだろう。

と、思ったことを、何年後かの私が思い出すことを、私は知っている。





夏が来るのも、夏がいってしまうのも、いや。

2008年09月17日 未分類 トラックバック(-) コメント(4)

パフェに喜べる人間






電車に飛び乗った。



わりと混んでいる。




2駅目で、ながーいシートの真ん中あたりの座席がひとつ、空いたので
そこに失礼する。




座れてうれしいな。
何しようかな。
何考えようかな。
本読もうかな。






途中の大きな駅に到着すると

たくさんの人が降りて行った。







私と同じシートに座っていた乗客は

すっかりいなくなってしまっていた。








ながーいシートの真ん中に

私は とり残される。









今、乗ってきた人が
向かいのシートに座り、視線を私に向けた。

私はそれを見逃さなかった。







あ、いま、

「なんであの人、わざわざ真ん中に座ってんだろ。」

って思っただろ。

この人どうしても、真ん中に座りたい人なのかなって、思ってるんだろ。









しかしもう今までの私とは違うのだ。


私はこの状況を楽しむことができる。










この席を、動くもんか。


いっそのこと、独り言とか呟いてやる。
鼻歌歌いながら、キョロキョロしたりしてやる。












一番はじの席に移動して、壁に頭をもたげたり、

それはなんとなく安心するけれど、











私は、今日を、積極的に楽しんでみようと思った。







2008年06月15日 未分類 トラックバック(-) コメント(3)

むしず

 


 


 



「むしずがはしる」


ということばが心に触れた。


 


 


「む」と「し」と「ず」を並べて言うのが楽しい。


 


スタジオで、


「むしずー」「むしずー」


と連呼する。


 


 


 


 


漢字はかせのメンバーW辺M佳に、


「むしずって漢字?」


と訊くと、


 


「漢字だよー。虫に唾って書くんだよ。」


 


と教えてくれた。


 




 すごい。


どうしてそんなことを知っているんだ。 







 


 


ところで、


「むしず」って何だ?




 私の予想では、


鳥肌とか、じんましんとか、「ぶわあっ」ってなるもののイメージ。



 



 


 


 




辞書をひいてみる。



 


「むしず(虫酸、虫唾)


 :胸のむかむかしたときに、口に逆流する酸っぱい 液のこと。


  >〜が走る。」


 



 


 


 


 


 


 


 


むかむか・・・


逆流・・・


酸っぱい液・・・

















― お手軽簡単 酢豚!―


むしずが走ったら、炒めた野菜や豚肉を食べるだけ!


簡単に酢豚が楽しめます!
























かなしいひとが今、


「きたないなあ」なんて言いながら


少しでも笑ったらいい。





 

2007年11月28日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

楽しみ




列に並んでいるとき、


ちょっと 前につめてみる。





すると、


私の後の人がちょっとつめる。



と、



私の後の後の人もつめる。


私の後の後の後のひともつめて、


その後もつめて、




列が短くなる。






ある人は携帯に気をとられたまま、


またある人はぼうっとよそみをしながら。




前が進むと、ついつい進んでしまうらしい。





並んでる人数は変わらないのに、


列が進むの。




私のしわざ!










うふふ。


あなたたち、気付かない間に


私によってコントロールされているのよ。







 

2007年11月17日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

効率

 


朝のアルバイトが終わり、荷物を取るため事務所に入ると、
もうひとりのアルバイトさんが休憩中だった。


食事をしているようなのだが、
耳からは白いイヤフォンのコードが続き、
手には文庫本を持っている。
机に肘をついて、仰ぐような姿勢で読んでいる。


口はもぐもぐ。


 


つまり、「食事中に、音楽を聴きながら本を読んでいる」状態だ。


 


 


 


「あ、おつかれーっす」


 


 


私に気が付いて


彼は微笑む。


 



五感をフルに使った状態で、ごあいさつ。











はたして、


いっぺんにいくつもの行動をとるのは効率的なのか。









歩きながら飲み物を飲むのは難しい。


いちいち立ち止まらないと、「ぶしゃっ」となって服が濡れる。





音楽を聴きながらごはんを食べようとすると、


タイムワープしていて、


我に返ったときは、ごはんが冷めていたりする。







「今日はどうする?」


と訊こうとしたタイミングで、


誰かに「おはよう!」と言われようものなら、





「おはようはどうする?」



 


 になってしまう。











聖徳太子とか、すごいとおもう。











私だって





「どうせ急いでないし」


とか言いながら、




本当は、


" 生き急いでいる " 雰囲気になりたいんだけど。





なりたい。






あのこ、生き急いでるよね、って。




偉人になりそうでかっこいい。











実際の私は、



いっぺんにできないし(牛乳とあんぱんを同時に食べることならできる)。



慌てることもしない。











向こうで信号が青でも、


「次の青で渡ればいいや」


と見送っている私は




おそらく、うすっぺらな人生になってしまう。










まずは、


食事中に、音楽を聴きながら本を読むことから始めよう。









 

2007年11月02日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

誤解の悪循環

 


私は、親睦を深めたいのなら、「おしゃべり」をするのが大事だと思っている。


たとえそれが仲良くなりたい人ではなくても、空気を柔らかくするために、「おしゃべり」は必要であろう。



 


 


 


むかしむかし、


私がまだ明るかったころ、


周囲を活気付けようと、クラスメイトなどに話しかけて回ったものだった。


 


「趣味はなあに?」


「どれが一番好き?」


「髪型変えた?」


 


こういうときは、質問がいちばんだ。


 



 


しかし、しばらくすると、


自分が、人から話しかけられるのを苦痛に感じるようになった。



なので、



もちろん人に話しかけなくなった。


用事があっても、相当の勇気を出さないと話しかけることができない。


 





さらにしばらく経つと、



空気読めない人にはなりたくないな、と考えるようになった。


なので、



人が話しかけてきてくれたときには、返事だけではなく、同じことを相手にも訊き返す、という応用を身に付けた。




例) 


「どこに住んでいるの?」


「衣笠です。(基本回答)


 ○○さんはどちらにお住まいなんですか?(応用回答)」


「私は武山のほう」


 



というような感じで、話に花が咲く。


 


 



するとやがて、


やっぱり自分からも質問しよう という気になってくる。


 


でもやっぱり、やめる。


 


 



質問することによって、


自分が同じ質問を問いかけられるのを期待していると思われるのは嫌だからだ。


 


例)


「○○さん、趣味は何ですか?」


「うーん、読書かなあ。
 おおたにさんは?」



うっ。これではまるで


あたしが自分の趣味を言いたくて仕方なかったみたいではないか。



 






そうして、さらには、


自分が質問されたときに訊き返すことも


良くない気がしてくるのである。



相手は


「あ、おおたにさんは、私が訊き返して欲しいと思っているんだわ。
 そんなんじゃないわよ!ばーか」


などと思っているかも知れないもの。


 


 





そんなこんなで、



今では、



せっかく相手が気を遣って質問してくれても、


それに答えるだけで


はい、会話終了――。


となってしまう。





「こいつ誤解している」と、誤解されるのが嫌で、


愛想が無いように誤解されてしまうのだ。




 


 

2007年10月22日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

水虫って聞くと、すごく綺麗な虫を想像します



テーブルにほったらかしになっていた


母親の読みかけの雑誌をめくる。







健康相談コーナーみたいなページに、



「女性の水虫」



が特集されていた。










へえ。水虫って、うつるのか。





「水虫になってしまったら、皮膚科へ行きましょう。」












ん?皮膚科のスリッパって、大丈夫か?








 

2007年09月10日 未分類 トラックバック(-) コメント(1)

災害対策



図書館で貸りた本を読み進めて、


しおり紐が挟まっている1ページ前までくる。






ごくん。











前に、この本を貸りて読んだ人が、


このページに しおりを挟んだ状態で返却したのだ。







ああ、何か すごいことが書いてあったらどうしよう。













それはただ、なんとなくランダムに、収納の目的で挟んだだけかも知れない。







だけど、



自分だって、




とてつもない言葉とか、




今の自分を見透かされたような文章に出会ったとき、





思わずしおりを挟んで、何度も読み返したりするじゃないか。













きっと誰かが感動して、ここにしおりを挟んだのだ。




そしてそのまま返却したのだ。









さあ そのページを、
あたしは今まさに読もうとしているんですしおりを挟んだどこかの誰かよ!






















特に変哲の無い文章のこともある。








だよね、適当に邪魔だから挟んだだけだよね、と納得しながらも、




いや もしかしたら、私が反応できなかった すごい箇所があるのではないか、と、


何度も読み返してしまったりする。
















もちろん、視るものにしろ聴くものにしろ、



人それぞれの状況と状態によって、心掴まれる表現は異なる。







だから、しおりのページに、誰かにとっての黄金のフレーズがあっても、




そこに私が一度読んで反応できなかったのならば、






私が何度読み返しても、見えてこないのだろう。






















たまに、誰かが




「この曲はヤバイ!」などと言って、



CDを貸してくれることがある。



嬉しいし 楽しみなのだけれど、






少しこわい。














もし、私がこのCDを聴いて、


何の感慨も覚えなかったら――。




















私にとって、人と感動を共感できるのは



何より幸福な瞬間だ。








そのぶん、



相手の感動したものに対して、私も同じように感動できないと



いっぺんに、心配になる。


















でも大丈夫だ。





今 反応できないことにも、




いつか、心の状態と状況によって、



急に感動したりすることもわかってきたから。




それが突然 私を助けてくれることがある、というのも



わかってきたから。

















アンテナが圏外になっているだけかも知れない。




今の状態には必要ないからと、


いずれ必要になるものを見過ごしてしまうかも知れない。













何でも 視ておこう、聴いておこう。




そうして 私の心のところどころに、しおりが挟まれていくはずだ。




















 

2007年09月04日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

先に立っていたはずの後悔




 にんじん― そんなら、もし僕が、自殺しようとしたことがあるっていったら、どうなの?


 ルピック氏― おどかすな、やい。


 にんじん― 嘘じゃないよ。父さん、昨日だって、また、僕あ、首を吊ろうと思ったんだぜ。


 ルピック氏― ところで、お前はそこにいるじゃないか。だから、まあまあ、そんなことはしたくなかったんだ。しかも、お前は、自殺をしそこなったという話をしながら、得意そうに、顎を突き出している。今までに、死にたいと思ったのは、お前だけのように考えているんだ。やい、にんじん、我身勝手の末は恐ろしいぞ。お前はそっちへ布団をみんなひっぱって行くんだ。世の中は自分一人のもんだと思ってる。


(ルナアル 「にんじん」 岸田国士訳 岩波書店 1976)























電車で、


小学生くらいの子が2人、話していた。









「おれ、自殺したいと思ったことあるよ」


「おれだってあるし」


 


 


私も 


ちっぽけな不運を、不幸そうに、得意げに話すことがある。 


 


 


 


 


 


  『知ってたの?』
  『モモちゃん、知らなかったの?』
 体の奥から何かがせり上がってきた。私は胸をかきむしり、堪えきれなくなって声を上げた。
 星野君が何か言って私の体を抱きしめた。苦しくて息がうまくできない。
 私は教授に知らせたかった。教授に言い渡された別れが、死ぬほど私を傷つけたことを。でもそれを口に出して伝えなかったのは、彼への復讐のつもりだったのだ。身内の死を伝えなかったのも、気がつかなかったと悔やんでほしかったからだ。
 誰にも私の気持ちなど分からないと、人を嘲笑してきた。では逆に私は他人の心の内を分かっていただろうか。何年も付き合っていたのに、私は教授の奥さんが病気だったことすらまったく知らなかったのだ。
 お母さん、お母さん、と私はいつの間にか子どものようにしゃくりあげながら母を呼んでいた。
 言いたくない、が気づいてほしいの裏返しなら、死んでしまいたい、は生きていたいということだろうか。


(山本文緒 『みんないってしまう』 角川書店 1997)


 


 


 


気が付かないなんて嫌だ。 


 


もしかしたら、話を聞いてくれている


あなたが、


とびきりの笑顔で、


ぎりぎりの綱渡りをしている状態かもしれない。


 


自分に精一杯になって、


気付かなくて、誰かを苦しませたままにしたくない。





私には、




「ああたぶん、


 このひとを失った日、


 かなしくてかなしくて、


 『このひとに出会った時に戻りたい』


 と強く、願ったんだ。


  そうして私は 今、戻って、このひとに出会っているんだ。」


 



と いう気がする存在が、数人いる。


(そのうち、また失敗して失ってしまったひともいる。
せめて前回と違った失敗だといいけれど。)


 




今度こそ大切にしなくちゃ。












 





2007年09月03日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

掃除・洗濯のない暮らし


タクシーに乗って、
目の前の広告に どきっとする。




20070807123407.jpg




だめだようつくしくないよいけないよ。



それはもう、臭くてべとべとだ。








 

2007年08月07日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

はぐれメタルは とうひょうけんをてにいれた!

 



選挙カーがうるさい。


うぐいす嬢の声ですら耳障りだ。




ちらっと目をやる。




「ご声援、有難うございます!」





いや、見ただけですって。







「若い方のご声援、しっかりと受け取りました!」



いや、だからあなた、見ただけですってば。



ああもう、みんな あたしを見ていくじゃないか。








この騒音は公害だ。



本当に国民のことを考えているのか。



「おまえにはぜったいとうひょうしないぞ」


と思う。







もしかして、


なんにもしなかったら、



当選するんじゃないか。





2007年07月27日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

自画自賛


ランニングシャツのおじさんが暑そうに店に入ってくる。


汗だくだ。



たっぷりしたおなかで、ランニングがぴちぴちに伸ばされている。


はだかと どう違うのか。





見苦しくはあるが、都会でこんなおじさんに会えると少し嬉しい。








私は お皿を拭くのをやめて、


注文を受けに行く。







「いらっしゃいませ。」





「ふ〜、あれだ。


 おいしいやつ。」





「?」





「おいしいやつ!」






「おいしいやつ、ですか」






「うん、あの、おいしいやつ」






「???」









隣の店員に助けを求めると



「こちらでしょうか?」


と写真を指して尋ねた。







「いや、違うよ。


 ほら、あのおいしいの!


 おいしいコーヒー!」







こまった。




常連さんでもないのに、わからないよ。



というかこの店はコーヒー屋なのだよ。



おいしいコーヒーとか言われても、
ほとんど全部コーヒーだからわからないよ。








「う〜、あれだよ!あれ!


 名前忘れちゃったよ!」






おじさんは頭を抱える。




私は おじさんを見つめる。

















じー・・・
























カフェオレ




























「あの、カフェ・オーレのことでしょうか?」















「え?あ!それだ!あはは」








「よくわかったね〜」



「いやぁ、まぐれ、ですよ。まぐれ」






















ふふ。


いいぞ、いいぞ、わたし。


2007年07月18日 未分類 トラックバック(-) コメント(1)

どうせなら冷や奴で


白い鍵盤が


お豆腐に見えてしまう。







たぶん




グシャッとなる。


そして指先がひんやりする。








ギターの弦に豆腐を押し付けたら


綺麗に切れそうだ。





ベースの弦だと太すぎて


あまり綺麗に切れないかもなぁ。





ベースアンプの側に豆腐を置いたら


豆腐が細かく振動しそうだ。






音は空気の振動である。




音は豆腐の振動である。








楽器を鳴らすと、


世界中の豆腐は細かく震えます。


ひとつひとつは、人間には聴き取れない、


小さな音しか発生させません。


しかしながら、豆腐大国 日本では、


前日のお味噌汁に入っていた豆腐が


胃の中で共鳴し、音となって・・・










???










「豆腐は偉い。形が残ろうと、潰されようと変幻自在に豆腐としての存在を主張している。しかも、過度な自己主張はなくて、どんな味にも染まるが、決して自分の味を失うことはない。甘かったりしょっぱかったりする味付けに従うとみせながら、その実したたかに自己主張している。色にしても同じことだ。豆腐は白いので、どんな色にも染まるのだが、元々白いのだという観念を絶対に捨てない。形にしろ、どんな容器にもはいって固まる。冷たくしても、厚くしても、何の変化もない。料理の相手も選ばない。野菜でも魚でも肉でもきちんと相手をしてみせ、自分は脇に控えながらも、本来そなわった品位を毅然と保っている。どんなことをしても、豆腐は自己を失うことはない。本当に豆腐は偉いものだ。」


立松和平 「象に乗って」 毎日新聞社 1990













ああそうだ。










豆腐のように楽器が弾けたら、





と思っただけなのだった。









 

2007年07月11日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

苔のむすまで

 


裸足のお坊さんが立っていたので、


その手に持たれたお碗に 小銭を入れる。


 


ゆっくりと頭が上がって、笠のふちから切れ長の目が覗く。


 


 


 


「・・・どうも


 


 有難うございます。」


 


 


 


鋭い目つき。


 


 


少し妙な気分になり、立ち去ろうとしたとき、


 


修行僧は もう一度口をひらいた。


 


 


 


 


「では、


 


 お姉さんには、


 


 いいものを差し上げましょう。」


 


 


 


 


そう言って、


懐から、ボロボロの紙切れを差し出された。 


 


 


お礼を言って さっと受け取り


早歩きで離れて、


角を曲がってから紙を見てみる。


 


 


 


 


「君が代」の歌詞。


 



改めて見ると



いい歌だ。



この歌、


昔の誰かが、恋人を歌ったものなら とても素敵だと思う。






ところで



あのお坊さんは本物だろうか、



趣味でやってる人だろうか。





 

2007年07月08日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

粋なフォロー

 


 


引越した先の近所にあるコーヒー屋で


アルバイトを始めたところだ。


 


 


今 思うと


その、ビジネスマンらしきお客さんは、


いつもブレンドを持ち帰りで注文する常連さんのようだが、


働き始めたばかりの私は、それを知らなかった。


 


 


「ブレンドコーヒーください」


と注文されたのに、


 


「かしこまりました。


アイスカフェラテお願いします!」


 


などと、わけのわからないことを言ってしまった。


似ても似つかない2つを、聞き間違えてしまったのだ。


 


「いや、ブレンドって・・・」


 


失笑するお客さん。


 


 


私は


一瞬 固まり、慌てる。


 


「!!


 失礼致しました・・・」


 


・・・凹。


 


あまりにひどい聞き間違いに 一気にヘコんだ私を見て


そのお客さんは言った。


 


 


 


「いや、ね?


どれだけ小さい声まで聞き取れるのかなって、


ちょっと実験してみたんです」


 


 


 


と、にっこり。


 


 


 


 


 


 


がーん


がーん


がーん。


 


(にっこり


 にっこり


 にっこり・・・)


 


うそつけ。


やさしすぎるやさしすぎる


そして粋で軽やかなフォロー。


わたしはなみだがでそうです。


 

2007年07月01日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)

たからばこ



「人1倍 苦手だ」



「人1倍 好きだ」



 


 


 


人の1倍って、


 


 


 


 


 


 



人とおんなじくらいじゃないか?

 


 


 


 


 



そう思い込むと、 






「私の苦手度は、他の人より1倍 高い」


 


「人の好き度数+(人の好き度数×1)=私の好き度数」



「人の思っている2倍好きだ」


 





とか言うようになる。






つまり



私は、他の人より2倍 理屈っぽいのであって、


2倍 くどい。






一緒にいると、めんどくさい奴なのである。










友達が本当に少ない。






そして人より2倍以上たっぷりと


愛情を受けている。






2007年06月24日 未分類 トラックバック(-) コメント(3)

そのもの



刺身が結構好きだ。



しかし、味の違いがわからないことに最近気が付いた。


 


 


 


自分が今どの魚を食べているのかということはわかるのだが、


それは食感の違いで判断しているように思う。


 



硬かったら「いか」だし、



ぷちぷちは「いくら」だし、



サーモンだって、ちょっと違う。


 



でも、食感の似ている




まぐろ や



たい や



かんぱち は




結構あやしい。


 







目隠しをされ、ミキサーにかけた刺身を口に入れられたら、



私はそれが何という魚だか当てられないだろう。



 






味の違いがわからない。


 




それでも刺身を「おいしい」と言う。


 


 








「醤油味」だ。


 













そうか、




私が好きなのは、刺身ではなく、醤油なのか。


 







そう思って考えてみると、


やはり醤油をつけて食べる料理が好きだったりする。





それも、




「このしょっぱさがおいしいんだよな」




なんて思いながら食べている。


 






ならば醤油を単体で楽しめば良いではないか。とも思うが、




直接、ビンからぐびぐび飲むわけにはいかない。


 






だから、


 






刺身を媒体として、醤油を食べているのだ。


 




きっと 餃子だって、ラー油を味わいたいだけ。




きゅうりに味噌を付けて食べるのだって、


たぶん味噌をすくって食べるためのきゅうりだ。




ラーメンも


スープを味わうために、麺にスープを付着させているのだ。




もしかしたら、コロッケよりも、


ソースが味わいたいのかもしれない。


 





もちろんそれなりに



魚そのものの質の良し悪しはどうか、とか、



凝った餃子かどうか、とか



野菜の新鮮さ、もわかるのだが、





やはり調味料の力が大きな割合を占めている。


 






その証拠に、私はわさび醤油なしに刺身をおいしいと感じない。






つまり、





私は本当の刺身好きではないのだ。






真の刺身好きであれば、



何もつけずに食べて「おいしい」と思うのだ。


 






 ああ、「刺身が好き」 だなんて、


なんと軽はずみなことを言ったものだろう!




魚たちにも、漁師さんにも失礼じゃないか。









自分の、「本当に」 好きな食べ物は何なのか。




おいしい、と感じたとき、



それは、調味料の媒体としておいしいと感じているだけでないか


 





 今日もたくさん食べる。



媒体、媒体、とつぶやきながら。









たぶん、




美しいひとは、




美しいこころのひとは、






素材そのものの味と対話するのだ。







きゅうりに何も付けないで食べるし、


ざる蕎麦だって、めんつゆなど要らない。










私の心は醤油まみれだ。






2007年06月21日 未分類 トラックバック(-) コメント(3)

インディゴブルー


50人ほどの授業に


6人もジージャンの人が。




同じ青でも、


どれも色の濃さが絶妙に違う。



6人いて、ぜんぶ、違うのである。







もしも、



私が


この散らばった6人みーんなと


友達だったなら、




お願いして 集合させ、



左から色の濃い順に並んでもらえるのに。


2007年05月11日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

小悪魔か、いたずらっこ天使か、

 


観察の大好きな私は、



飛行機内でも、思わず観察をしてしまう。




 


3人席に、ひとりで乗ると



隣は大抵 恋人同士か夫婦だ。


 




今回のお隣さんは、恋人同士のように見えた。


 




CanCanやJJを読んでいそうな美人のお姉さんは



既に毛布をかけて眠っていた。


 



きれいなひと。






彼のほうは、ガタイのよい、だけど知的な、まさに美人に好かれそうな男性。



彼の方を向いて眠っている彼女の隣で、



パソコンをひらいてなにやら文書を作成していた。


 


 


 






1時間くらいした頃、



彼は立ち上がって、トイレへ向かった。


 


 




と、その直後、



美人のお姉さんはムクッと起きあがり、



鏡を出して
ささっと口紅をひき、
鼻のあたりにファンデーションを塗り、
髪を整え、



再び、



ぱたっと毛布にくるまった。


 


 





あっという間の出来事だった。


 


 





彼が戻ってくるときには、さっきと全く同じ体勢で目を閉じている。


 


 




戻ってきた彼は、



そんな慌ただしい30秒があったとは知らずに、



少し微笑みながら



さらさらした髪の間に指を通すように





彼女のあたまをなでた。


 


 


 









彼女は眠っているように見えた。


 


 


 





迅速な行動と 完成された演技。



これはとても難易度の高いことだと思う。










そう、



おとめパワーである。










もし、彼がそれを知るようなことがあったら、



「は?」と思うのか



それとも



「かわいいな」とでも思うのか。




どちらにしても恐ろしい。








恐ろしくって、



私や 私の友人あたりは



いつだって



それを眺める側なのだ。










でも、



「影のある男性が好き」とか



「心に傷のあるひとってイイ」とか



よく聞くし。





魅力にはスリルが付き物なのかも知れない。







そんな綱渡りのような おとめパワーだからこそ




あのお姉さんは美しいのだろう。








2007年05月02日 未分類 トラックバック(-) コメント(0)

メビウスの輪



誰かたちの自己紹介を眺める新学期。



明るいカラーの長い髪がよく似合う、にこにこ可愛い女の子。






「えっとぉ!趣味はぁ!




 音楽を聴くことです!」








おお。




素敵。









「えっとぉ!




 クラシックからぁ!




 J‐POPまでぇ!




 幅広く聴くきます!」


 










おお。









お?



それはどういうことだ?











この人の中に、




音楽という帯があったら、




その、いちばん左のはじっこがクラシックで、




いちばん右のはじっこがJ‐POPということか。


 









おまけにその2つの間は、結構 広いらしい。









その間にどんな音楽があって、




その間に無い音楽は何なのだろう。













 

2007年04月26日 未分類 トラックバック(-) コメント(3)

ブックカバーとかたつむり


本を買うと、カバーをかけずにはいられない。




大きな本屋さんだと、カバーをかけてくれるが、



だいたいにしかサイズを合わせてくれないので



ぶかぶかして読みづらい。




丁寧さより、素早さが求められるのだろう。



仕方がない。





「仕方ないな〜」などと言いながら、にやにやとカバーのサイズを直す。



この作業が好きだ。





しかもここで、裏返しにカバーをかけるのがいい。



カバーの色や模様が ちかちかしていると落ち着かない。



書店名のプリントされた面を内側にして折り、無地のカバーに仕立てる。






ぴったりのサイズに、落ち着きある無地のうす茶色。




しばらく両手にはさんだり、ぱらぱらぱらぱらーっとやってみたりして、




それから うっとりと表紙をひらく。





すると すうっと 本の世界に入ることができるのだ。












私は変なところで潔癖症なので



図書館の本を触るのが好きではない。




ばい菌が口に入ったらどうしよう、と思う。



借りたら、紙に包んで鞄にしまい、



持ち帰った後は、アルコール除菌してすぐにカバーをかける。







私は変なところで自意識過剰なので



自分が何の本を読んでいるのか知られたくない。




電車などで



「このひとあの本読むってことはああいうひとなのね」



と思われるのがこわいのだ。




外出するときは、持ち出す本にカバーをかける。











私は変なところでケチなので、



本を借すときもカバーをかける。




帯が破れたり、本に傷が付いたりするのが嫌だからだ。










ここまで書いて、自分って本当に嫌なやつだよなあ、と窓の外を見てしまうのだが、



とにかく、本のカバーというのは、ほんとうにありがたい。







私にもカバーがかけられたらいいのに。





今は



「はだか」か



「ぶかぶか」か



「ちかちか」だ。









私にも、カバーが付いたらいい。






私を読んでくれるあなたを わたしで汚さないように、



私が こんな本だと知られないように、



誰かに読んでもらう度に 傷が付かないように。











でもそれって、寝袋みたいなやつかな。






 

2007年04月18日 未分類 トラックバック(-) コメント(3)

二足歩行のなかで


移動するには 歩くし、



急ぐなら 走るし。











スキップってなんなんだ。










きっと、ずうっと大昔のどこかのひとが、


うれしくてうれしくてしょうがないもうどうしよう、と思いながら


歩いていたら


こうなっていたのだろう。



2007年04月14日 未分類 トラックバック(-) コメント(2)